世界遺産「ローマ帝国の国境」リーメスの歴史と特徴

最終更新日:2023/06/29

世界遺産「ローマ帝国の国境」リーメスの歴史と特徴

ローマ帝国の広大な領土を守るために作られた防衛システム、「ローマのリーメス」。その一部は現在でも壮大な遺跡として残っており、その中でも特に著名なハドリアヌスの長城、リーメス、アントニヌスの壁は世界遺産に登録され、我々の歴史を物語っています。

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ローマ帝国時代の国境の名残がまだ残っているって本当ですか?
当時の強大なローマ帝国を感じる遺跡ですよね。世界遺産にもなっているローマ帝国の国境線を調べてみてはどうでしょうか?
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ローマ帝国は、過去に存在した中で最も大規模な帝国の一つです。それは地中海を中心に広がり、西は大西洋、東は黒海、北はスコットランドの中央、南はサハラ砂漠の北部までをカバーしていました。

この巨大な帝国を守るために、「ローマのリーメス」なる防衛線が作られました。現在でもその一部は壁、堀、砦、見張り塔、民間人の住居などとして残されています。

この防衛線の中で最も有名なのは、「ハドリアヌスの長城」、「リーメス(Upper Germanic-Rhaetian Limes)」、「アントニヌスの壁」の3つです。

「ハドリアヌスの長城」は、イギリスのローマ帝国北部の境界線としてハドリアヌス皇帝によって建設されました。その長さはなんと130kmに及び、壁だけでなく堀や土塁、軍事道路ネットワークも含んでいます。これは当時のローマの軍事技術や組織力を如実に示しています。

「ハドリアヌスの長城」は、イギリスのローマ帝国北部の境界線としてハドリアヌス皇帝によって建設されました。

「リーメス(Upper Germanic-Rhaetian Limes)」は、ライン川からドナウ川までの550kmにわたり砦、防衛施設、道路ネットワークがあり、当時のローマの生活や文化を垣間見ることができます。

そして、「アントニヌスの壁」は、アントニヌス・ピウス皇帝の命令で建設され、スコットランドの中央を東西に60kmにわたって横断しています。

これらの防衛施設が現在でも存在することは、当時の人々の高度な技術と努力の証です。各地の遺跡は、防衛線がどのように作られ、どのような人々がそこで生活していたかといった歴史を私たちに伝えています。これらの遺跡は、我々が歴史を学び理解するための貴重な資料なのです。

Frontiers of the Roman Empire (UNESCO/NHK)

「ローマ帝国の国境線」の地理と位置

ローマ帝国の最大版図時、その国境線は大西洋から黒海、さらに赤海、北アフリカを経て再び大西洋に至る約5,000キロメートルにわたって伸びていました。北部では現在のイギリスの北端、ハドリアヌスの長城とアントニヌスの壁が築かれ、南部ではサハラ砂漠の北部まで至りました。また、中央ヨーロッパではドイツのライン川からドナウ川までの「リーメス」が構築されていました。

「ローマ帝国の国境線」の見どころ

ハドリアヌスの長城(イギリス)

イギリス北部にあるハドリアヌスの長城は、壮観な自然風景と古代の軍事設備が絶妙に融合しています。この壁はローマ帝国の北限を守るために築かれ、現在でもその壮大な規模と建築技術が訪れる人々を感動させています。堀や土塁、砦、道路ネットワークも見どころの一つで、当時の防衛システムの洗練さを体感できます。

ハドリアヌスの長城(イギリス)

リーメス(Upper Germanic-Rhaetian Limes)(ドイツ)

ドイツを横断する「リーメス」は、その長さ550kmにわたって砦、防御施設、道路ネットワークなどが点在しています。この壁は軍事的な防壁だけでなく、経済的・文化的な境界線も表しており、ローマ化とゲルマン文化との間の文化的な交流や影響も見て取ることができます。

アントニヌスの壁(スコットランド)

スコットランドの中央部を横断するアントニヌスの壁は、古代ローマの技術と組織力の粋を集めた防御施設です。この壁は一代でしか使われなかったため、特定の時期の防衛ラインの設計と建設方法について貴重な知識を提供します。石と芝生で作られた壁やその周辺の施設は、古代ローマの技術的な熟練度を物語っています。

「ローマ帝国の国境線」と世界遺産

「ローマ帝国の国境線」は、その驚異的な規模と詳細な防衛工作により、一部が世界遺産として認識されています。その一部を構成するハドリアヌスの長城は、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。

その理由は、この壁がローマ帝国の「ローマの平和」時代の工学、組織、力の象徴であり、一世紀以上の間にわたるブリタニア(現在のイギリス)のローマ統治の証とされているからです。

同様に、ドイツに位置する「リーメス(Upper Germanic-Rhaetian Limes)」も2005年に世界遺産に登録されました。これは、その驚くべき長さと保存状態がローマ帝国の国境線の独特な特徴をよく示しているからです。ここでは、壁の跡、砦、防御施設、道路ネットワークが見ることができ、その場所の人々がどのように生活し、ローマ帝国とどのように関わっていたかを示す貴重な証拠を提供しています。

これらの世界遺産登録は、ローマ帝国の国境線が古代の工学、軍事戦略、社会組織の洞察を提供するだけでなく、人類の共通の歴史遺産の一部であることを認識しています。それはまた、私たちがこれらの遺跡を保存し、未来の世代がこれらの場所から学ぶことができるようにする重要性を強調しています。

ローマのリーメス:始まりと概要

ローマ帝国の最大拡大時期の境界

ローマ帝国がその全盛期に達したとき、その勢力範囲は世界の驚くべき部分を占めていました。北はイギリスの大西洋岸から南は北アフリカの大西洋岸まで、そして東は黒海から西は紅海まで、その国境は驚異的な5,000km以上に及んでいました。それは広大な地中海地域だけでなく、ヨーロッパ、アフリカ、西アジアの多くの地域を含んでいたのです。この大帝国を守るために作られたのが、「ローマのリーメス」と呼ばれる国境線です。

リーメスの全体像

このローマのリーメスとは、帝国の広大な国境を防衛するために作られた、堅固で詳細に設計された防御システムのことです。リーメスの名称自体は、「道路」または「境界」を意味し、その名が示す通り、帝国の領土と外部の世界を分ける境界としての機能を果たしていました。

ローマのリーメス:形状と構造

リーメスの要素:城壁、堀、要塞、監視塔、市民の定住地

ローマのリーメスはその形状や構造が地域により大きく異なることが特徴です。一部では、高さ数メートルの堅固な城壁が建設され、敵の侵入を防いでいました。また、城壁の前には深い堀が掘られ、城壁への攻撃をより困難にしていました。要塞や監視塔もまた、重要な防御要素であり、ここから兵士たちは周囲の風景を見渡し、敵の動きを監視していました。

また、リーメスには市民の住んでいた定住地も含まれていました。これらの定住地は国境沿いに点在しており、兵士たちが物資を補給したり、休息を取ったりするための場所として機能していました。また、これらの定住地は文化や技術の交流の場でもあり、ここを通ってローマ文化が周辺地域に広まっていったのです。

リーメスの一部は現在でも保存されており、その壮大さと詳細な設計を我々後世の人々が目の当たりにすることができます。これらの遺跡は、古代ローマの優れた工学技術と組織能力、そしてその大帝国を維持しようとした人々の努力と志向を感じさせてくれます。

  1. Frontiers of the Roman Empire – UNESCO World Heritage Centre
    https://whc.unesco.org/en/list/430/
  2. ローマ帝国の国境線 – Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%A2%83%E7%B7%9A
  3. アントニヌスの長城 – Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E
  4. ハドリアヌスの長城 – Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E
  5. Upper Germanic-Rhaetian Limes – Wikipedia
    https://en.wikipedia.org/wiki/Upper_Germanic-Rhaetian_Limes

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作成者: LILY

こんにちわ。LILYの編集長です。 最近Huluを自宅に導入してみました。海外ドラマにすっかりハマってしまい、毎晩眠るのが遅くなっています。海外ドラマで寝不足が続きそうです。